カテゴリー「歴史」の9件の記事

妻たちの二・二六事件

お久しぶりです。
あちら側で主に更新しているので、こっちは完全にこういう系統のブログになっていくんだなと思います。

タイトルの本だけど、澤地久枝さんの処女作。そして、この本を契機にして女史は文壇の世界へ羽ばたいていくのです。
どんな内容かというと、タイトルのまんまなのですが。
二・二六事件を起こした青年将校の妻たちのお話。事件から35年後のお話です。
読みたい方は読んでほしいと思います。まだ絶版になっていないし、取り寄せもすぐ出来ると思う。さすがに新刊を店頭でみつけるのは難しいでしょうけども。

で、さっそく感想なのですが。うーん、難しい。今を生きる私のような人間にとっては、衝撃的であったし、女史の視線が辛い。しかし、奥様方に直接会ってお話してるわけですから、それが事実なんだろうなぁと。
この本を読む前に、事件関係者の方々が澤地さんに恐ろしく厳しい意見をお持ちなので、読もうかどうか迷った本でもあります。でもそれはこの本に対してではなく、その後出版された本についてだったので普通に読めました。
青年将校側からではなく、妻の視線からの夫や考え方など、この本でしか見られない青年将校の一面を垣間見えたのでそれはそれで良かったです。
しかし涙が止まらない。妻たちの苦悩、そして青年将校の家庭での姿が。
基本的に妻視線なので、青年将校に対して厳しいことも書いてる。うーん・・・そんなもんなのかなぁって思ったりするのは、自分が傍観者であるからに違いないのですが。

興味のない方にはなんのこっちゃ?という話ですが、私がとても興味あることなので仕方ないです。

率直な感想なのですが、この本を読んだ青年将校のお子さんたちがどういう感想を抱くだろうか?と思う方が数名いらっしゃいました。誰とは書きません。事件から35年も経ってますから、もう大人でらっしゃるし、そんな話はとっくに知ってるでしょうけど。でもひょっとしたら子供や孫も読む可能性があるわけで。
そこまで考えてたらノンフィクションなんて書けないですけど・・・。
仕方ないか・・と思いますけど、ちょっと書きすぎじゃないですか?と思いました。
そこまで知りたくないですよ・・という情報もありましたし。
でも事実なんだよなぁと。知りたくないというのは、自分の中にある青年将校像が崩れていくような気がして、それがイヤだったのだろうと思います。

こころ、それは良くないぞ!と自分に言い聞かせて、なんとか読了。

すばらしい本だとは思います。
5回くらい読みましたけど、5回目になると感想が変わってきます。不思議だなぁ。なんでだろう。一番泣いたのはK大尉の奥様とお子様たちのところです。
悲しい。彼に対する見方も変わりましたし。
一番知りたい方のご遺族が、取材に応じてないので少し残念でしたが、なるほどと思いました。ご遺族にもそれぞれ立場があるのですね。

加害者側に甘いと言われる日本社会ですが、加害者である青年将校に同情的な意見が多いのは、正義のために!という彼らの主張に対して同情を示す人が多いからかなと。
でもそれならば、アルカイダだってそうだし、アメリカだって許されることになってしまう。

感情って難しいです。だから理解を深めるために、私は古本探しに没頭するのですよ・・・。これからゆっくりと。

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久しぶりに

更新してみる。
あちらではトリニータを中心にやってるのでこっちでは違うことを書こうかなと。

久しぶりにログインして、アクセス解析を見てみると。
やはり二・二六で検索してくる人が多いなぁ。
あと夏だからか、特攻のことでも検索してくる人が多い。

そういう季節なのですね。
お友達のブログからたまに観に来てくれてる人もいるようですが、こちらではトリネタは扱わないと思いますのであしからず。

久しぶりに図書館へ行き、二・二六事件で処刑された青年将校たちの手記や遺書を集めた「獄中手記・遺書」を借りて読んだ。
正しいとか正しくないとか、そういうのではなくて。
事実を知るために、読みたかった本でしたから。前回は借りられてたんで残念だったのんだけど。青年将校が処刑された日を前に行ってみたら、今度はきちんとありました。
地下にだけど。
やはりあまり需要がないのでしょうか。
読みたい本がたくさんあるのだけど、事件に関する本は全部地下にあるんですよね。
無くなりはしないと思うけど、そのうち地下にも並べられなくなるかもしれません。

磯部元主計大尉の行動記がスゴイと言われていたので、真っ先に読んでみた。確かにスゴイような気はする。
事件を主導してきた自分は生かされ、事件に消極的だった同志たちの方が先に処刑されてしまい、彼らより1年も長く生かされてしまった人間の胸中を思うと、ああいう文章になるのも納得できる。

死ぬことは負ける事だ、成仏することは譲歩する事だ、死ぬものか、成仏するものか

ここは強烈。
でも本心だろうと思う。この執念があったからこそ、あれだけの遺書や手記が世の中に出回ったんだろうと思う。もちろん協力してくれた看守や軍人、遺族の協力もあってこそでしょうけど。こういうものが出回らなければ、研究もされなかっただろうし、評価も全く違うものになったと思う。

You Tubeに事件を扱ったNHK特集がアップされてたわけですが。
番組を見たかったけど、見たことのなかった私は純粋に嬉しかったんですけども。
何人かの奥様がインタビューを受けてましたが、涙を流しているご夫人がいて。
鎮圧側の将校の奥様、事件に参加した将校の奥様。参加はしていないけど、結果的に責任をとられて処刑された方の奥様。
彼女たちには立場の違いこそあれ、夫がこの世を去っても軍人の妻として生きてきた人生があるわけです。彼女たちに戦後ってあったんでしょうかね?
天国で夫はどう思ったろう。
そんなことを思いながら見させて頂きました。

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二・二六事件と郷土兵 ②

今日も長いです。
読みたい方だけどうぞ。

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二・二六事件と郷土兵 ①

少しずつ体調も回復してきています。
日曜日は快勝してくれると信じてますよ!!選手の皆さんw

ということで、今日も自己満足日記です。
二・二六事件に興味があるならば、絶対に読んでおくべきだとあるサイトに書かれていてamazonで購入したのが、タイトルの本です。
埼玉県が昭和56年に発行したものです。
事件参加者の約半数は埼玉県出身者だったそうで、当時まだ生存していた参加者の人たちの手記を集めたもの。
その当時の埼玉県知事が、一人の兵士として二・二六事件に参加していたのだそうで。
その他にも、落語家の柳家小さん師匠も参加していたのですが。
さすがに小さん師匠の手記はありませんでした。

とっても生々しいです。
二・二六事件関係で出される本のほとんどに、この本からの引用部分があります。実際に現場で起きたことを克明に記しているわけで、これほど貴重な本はないでしょうね。
全部を書いていたらキリがないのですが。
驚いたことが、事件を起こして処刑された将校たちは、いい人であったと書かれていることです。もちろん、全員が全員じゃありません。
当時二等兵や一等兵だった彼らは上官に命令されて事件に参加したわけで、極論を言うと、彼らもある種の被害者だと思うのです。
その彼らに酷い仕打ちをした陸軍に、激しい憎悪の気持ちを表しています。
事件に参加した兵士たちは皇軍の名を汚した者だとされ、ことごとく激戦地へ飛ばされ、無謀ともいえる作戦の被害者となりました。
訓練も相当過酷だったようです。
あまりに過酷な訓練なので、実際の戦闘の方が楽だったと書いている人もいます。そして、多数の兵士が戦死したと書いています。
多くの人が差別的な待遇を受け、仲間を失い、中には親戚からも疎まれた人もいるようです。末端の兵にとっては、二・二六事件が悲劇の始まりだったのかもしれませんね。
生きて帰ってきても、その後すぐに召集され、またもや激戦地へ飛ばされる。
青年将校だけにスポットが当てられてしまいがちですが、こういった事実を知ると、違った側面が見えてきます。

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続・二二六事件

まだまだ続きます。
二・二六事件特集。
いい加減にしてー!と思ってる方も多いかと思いますが。
読みたい方だけどうぞ。
被害者の方々、主な決起将校をまとめてみました。

今日はじめて知ったのですが、襲撃時に不在で難を逃れた人に後藤文夫内務大臣という人がいるのですが、大分出身の人だったんですね。
その息子の正夫さんは自民党、大分選挙区選出の参議院議員だったのですね。法務大臣までなってるのですか。
ぐはっ、知らなかった。。。
私が子供だったころは田原隆さんの方が記憶にあります。この人も法務大臣までなりましたし。
ま、別にいいのですが。。。

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72年前の今頃

二・二六事件を起こした青年将校たちは、72年前のまさしく今頃、決起しようとしていました。各人が非常呼集をかけ、下士官兵たちに向けて決起趣意書を読み上げ、目的を告げているところではないでしょうか。
72年前の2月26日は大雪でした。
今年は雪は降っていないようです。
明日の東京の天気は雨だそうです。

今日26日、青年将校の遺族が中心になって、被害者である事件で命を落とした重臣・警察官の人たちと、加害者である青年将校たちを一緒に慰霊する法要が行われます。加害者側だけではなく、被害者側の遺族も参加している方がいるようです。
お互いの遺族がどんな気持ちで法要に臨むのか。
一人の傍観者に過ぎない私には分かりません。

ただ、72年経っても法要が続いているということは、それだけ思いが強いということだろうと思います。
この事件で亡くなられた全ての方々に深い哀悼の意を表します。
どうか、このようなことが二度と起きませんように。
それだけを願っています。


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東北出身の青年将校

二・二六事件を起こすきっかけになった理由で一番有名なものに、東北地方の農村の疲弊があったと言われます。

昭和4年、10月24日、ニューヨークのウォール街を襲った株価の大暴落。世に言う「暗黒の木曜日」です。その影響は瞬く間に世界に広がりました。当然、日本にも来たわけです。

その打撃を一番受けたのが、日本国民の大多数を占める農民でした。当時、日本の輸出品の4割を占めていたのが生糸でした。しかし世界恐慌の影響で輸出品の価格が暴落。日本各地にあった紡績工場は、生産調整を余儀なくされてしまいます。
収入も激減するわけで、そこで働く従業員の給料も激減。クビを切られないだけまだマシだと言われるような状況に陥ってしまうのです。当時、日本の農家の4割が兼業として養蚕をしていたそうです。しかし、輸出生糸の価格暴落で、繭の価格が60%以上も下落してしまったのです。農家の生活は困窮を極めるようになりました。また、農村の娘たちは主に紡績工場などで働いていました。しかし、給料が激減してしまったので娘たちの収入源も絶たれてしまいます。

さらに追い討ちをかけるように、東北地方では大凶作に見舞われます。乳児の死亡率は激増し、徴兵検査で上位を占めていた東北の男子たちは、大幅に順位を落としていったのです。どれだけ悲惨な状況だったか分かるのではないでしょうか。

そんな状況にもかかわらず、当時の政党や内閣は支援を受けている大財閥にとって有利な政策を次々とぶち上げ、弱い立場である農民が生きていくのに大変になる状況を作り出してしまいます。

そんな困窮を目の当たりにした決起将校がいました。
對馬勝雄中尉です。
彼は青森県の生まれでした。
子供のころから学業がとても優秀で、小学校のころには総代まで務めています。中学校でも成績が優秀だった彼は、青森中学を1年で終了し仙台幼年学校に合格します。
その後陸軍士官学校へ入学するのです。
事件に参加した青年将校の父親は同じ軍人であることが多いのですが、對馬中尉は違いました。それほど裕福ではない家庭に生まれたようです。本当の意味で、東北地方の貧しさを知る人だったのでしょう。

彼は元老・西園寺公望を襲撃する予定だったのですが同僚や部下に反対され、急遽予定を変更。東京へ来て、首相官邸襲撃に参加するのです。

彼も死刑に処されます。

享年27歳。

今の私と同い年なのです。
私が涙してしまうのはなぜなのでしょうか。
彼のしたことは、決して許されることではないのに。
それはきっと、事件の直前に生まれた息子へ残した遺書があるからでしょう。
河出文庫「二・二六事件」から引用させてもらいます。

「来たか坊やよ 悧口な坊や

 たった一つで母さんのつかひに

 はるばる汽車の旅 おゝお手柄お手柄」

死刑判決が下ってから、彼の両親は面会に来れましたが、妻は産後の肥立ちが悪く、面会に来ることができませんでした。そんなとき、祖母の手に抱かれて息子が面会にきました。そのときの喜びを表した歌です。

会えなかった妻に宛てての遺書も読みました。妻の身を案じ、自分の行為を侘びつつも、武人の妻としてどうあるべきかを説いています。涙が止まりませんでした。その遺書の中の一文に、どうか赤飯を炊いてくれと書いてありました。皇国のために死ぬのだから、これ以上の幸福はないと。

「天皇陛下万歳」を叫んで死んでいった気持ちを思うと、胸が締め付けられます。しかし彼らの起こした行動で、農村を救うことはできませんでした。暴力では何も変えられなかったのです。

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ニ・ニ六事件とは?

昭和11年2月26日午前5時。
陸軍の一部青年将校や民間人などが昭和維新を掲げ、約1500名の下士官兵を率いて決起しました。

国のため、苦しむ国民のため、兵のため、天皇陛下のため。
維新を成し遂げるために。

彼らが選んだ方法は武力をもって、政府や軍の重臣を殺害することでした。
警視庁や首相官邸、霞ヶ関一帯を占拠。
完全に国家機能を麻痺させてしまいました。
そして政府の重臣を襲撃・殺害します。
彼らは自分たちが動けば、後は自分たちの信望する陸軍の将官たちが自分たちの行動を認めてくれて、いい方向に進めてくれると信じていました。
簡単に言えば、やることはやりました。あとはお願いします。
そういうことでしょうか。
突然のことに陸軍首脳部は慌てふためきます。しかし、彼らの行動を認める幹部もたくさんいました。
軍人が天皇陛下の軍隊を命令もなく勝手に動かし、天皇陛下を補助する重臣たちを襲撃・殺害してしまったのです。自分が信頼する人たちを襲撃・殺害した青年将校たちに天皇陛下は激怒します。
事件発生当初は青年将校たちに同情的だった陸軍の首脳たちも、この天皇陛下の凄まじい怒りに触れ、完全にビビってしまいました。すぐに形勢は逆転。

青年将校たちは反乱軍となりました。

1500人の反乱軍たちは、各地から来た同じ陸軍の兵隊に何倍もの兵力で包囲されます。戦車まで出てきます。
そして、事件は4日後の2月29日、遂に終わります。
事件を起こした青年将校らは一部が自決、その他の将校は逮捕されました。
そして彼らは軍事裁判にかけられます。
しかし戒厳令下で行われた軍事裁判は、裁判とは名ばかりであり、非公開・弁護人なしという被告人にとって最悪な条件でした。はじめから死刑にするつもりだったのでしょう。逆を言えば、それだけ事は重大だったということなのでしょうね。
青年将校らは発言の機会すら奪われ、何一つ訴えることはできませんでした。

裁判が始まってわずか2ヶ月。

彼らの多くに死刑が言い渡されます。事件に参加していながら、死刑を免れた人も何人かはいましたが、ほとんどの青年将校は死刑になりました。
彼らが死刑に処されたのは7月12日。
その1年後、日本軍は盧溝橋事件を起こし、日中戦争へ突入していきます。
軍に歯向かえば殺されてしまう・・・。あまりに多くの政治家が襲撃されたため、彼らは軍に歯向かうことができなくなってしまったのです。
軍が暴走を始めるきっかけになったのがこの二・二六事件だといわれる所以です。
そのとき、軍の暴走を止める人はもういませんでした。破滅的な道を歩み始めたのです。
しかしこれは青年将校たちが望んだ軍の姿ではありませんでした。

私は決してこのようなテロを許してはいけないと思います。

許されることではありません。

しかし当時は今の私たちには考えられないほど社会は疲弊しており、彼らが陸軍士官学校で受けた教育にはものすごいものがあり、世界が混沌とする時勢であり、大変な世の中でした。
この事件が残した大きなものを知らなければならないのではないかなぁと思います。
学校ではほとんど教えないんだけど。
まぁ教えられないでしょうね。

思想がうんぬんとかではなく、ただ本当にあったこと、本当にあった話、そういうものを少しずつ書いていけたらなぁと思います。

まだまだ続きます。

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あと1週間か・・・

今日は2月19日。
悲しいことに日本では海上自衛隊が大変な失態を犯してしまいました。
自爆テロだったらどうするのか・・とある大臣は言いましたが。

テロ・・・。
72年前の2月19日、まさに今頃、陸軍の一人の青年将校が週番司令室で遺書を書いていました。

「我れ狂か愚か知らず 一路遂に奔騰するのみ」

この辞世の句ですが、野中四郎陸軍大尉が残したものです。

誰それ?と思う人が大多数でしょう。
知ってるほうがすごい。
ニ・ニ六事件はご存知でしょうか?
名前くらいは聞いたことがあると思います。
陸軍の青年将校が起こした事件です。
彼はその最先任将校でした。

私がニ・ニ六事件に興味を持ったのは、特攻隊についての本を読んでいたときでした。
そのきっかけはまた後日。
幕末や特攻隊のサイトは沢山あったけど、ニ・ニ六事件について書いているサイトはほとんどなかった。というよりも、ニ・ニ六事件についての知識が私になかったのです。

かなり前だけれど。
高倉健と吉永小百合の二大スターが共演した「動乱」という映画をテレビで見ました。
あれ、すごく衝撃的だったんです。
まだ小さいときだったから。
ああ、あの映画の事件なんだなぁと思いました。

ニ・ニ六事件はテロ事件です。
事件に参加した青年将校たちは、ほとんどが銃殺刑に処されます。
青年将校だけで言えば、一番の年長者でも32歳。
一番若い将校はなんと21歳です。
でも調べてみると銃殺された人の中には民間人がいたり、元軍人がいたり、思想家がいたりで。
訳が分からなかった。
普段ならここであきらめるんだけど、なぜかもっと知りたいなぁと思いました。
でもあまりにも情報が少ない。
本もほとんど絶版になってしまっていたし。
うん、それでも本は手に入れましたw
amazonで中古本買ったよ。
よくもまぁこんなに集めたなぁって思ってます。

まだまだ続くけど、今日はこの辺で。

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